history

 

1970年代

 

手に入れた1本のスケートボード!

 BoysBoysという映画を観て、アメリカンカルチャーに初めて触れるキッカケになりました。

その主人公達がストリートで乗っていたのがスケートボードでした。

音楽もファッションもスポーツも、

ライフスタイルという言葉を意識し始めたのもこの頃です

 

その後、サーフィンと出会い、

ハワイやロサンゼルスのサーフシーンを経験する事で、さらに拍車がかかりました!

 

 

1980年代

 

大学を卒業し、日本のインテリア業界でマーケティングの仕事に関わる事になり、

自分の実力以上の成果と報酬で浮かれていたバブル時代。 

 

バブルが弾け、それからの10年間日本経済は低迷期へとシフトします。

組織では悪者を探し始め、

デフレやリストラ、レイオフなんて言う聞きなれない言葉を知るようになったのもその頃です。

 

そんな時代だから、大企業だって老舗の優良企業だって、

そう、銀行だって保険会社だって次々に統廃合され、バタバタと倒産しました。

 

経済の荒波に飲まれないように、振り落とされないように、

  そんな波にただ流される日々を、惰性的におくっていました。

結局10年どころか、20年以上、地域や人によっては未だに立ち直れないでいます。

 

 

「 イノベーションや改革なんておきない。おこるはずがない!」

「独立なんてリスキーな事は考えるな、地道にサラリーマンを続けて、

毎月給料をもらっていた方が、賢い生き方だよ!」

そういう人が沢山いました、そんな時代でした。  

 

社内で一般社員が集められたある日、2回目の賃金カットが発表された会議室から出ると、

管理職が週末開かれるゴルフコンペの会費を年配幹部から集めていました。

 

 

 1990年代

 

旅先のロサンゼルスで一軒のカフェに立ち寄りました。

ハリウッドにあったそのカフェに入った私は今までにないインパクトと衝撃をうけました。

   

LAで出会ったそのカフェが作り出す

顧客とスタッフとの関係性「いきいき」とした店内の雰囲気は、

そこで働くスタッフとそこに集まる顧客との一体感、

それぞれの会話とやりとりする人々がキラキラと輝いて見えました。

 

日本に帰国してからは、もうカフェビジネスに夢中になって、

マーケット、業界構造、トレンド、将来構想など徹底的に研究を始めます。

その頃の日本のカフェマーケットは、ピークは過ぎ成熟期にありました。

 システマチックに完成された物流、商流システム、

日本カフェマーケットを知れば知るほどとても残念に思ったのは意外だったのを思いだします。

残念ながらカフェビジネスに情熱を傾ける理由はそこにはありませんでした。

おまけに不景気のまっただ中である日本経済では、衰退、停滞の言葉をよく耳にしました。

もう日本は終わった!と感じました。

 

しかし、そのカフェは、翌年1号店を中央区銀座にアジア地区初上陸を果たします。

そして、まんまと日本の暗く停滞したカフェシーンにおいて颯爽と現れ業界に革命をおこし、

人々を魅了し大成功をおさめました。

その後、世界的にも新しい潮流となり、今も尚業界のトップリーダーに君臨しています。

 

日本には無い、新たなショップコンセプト、ポジショニング、ターゲットを携えた、

この「アメリカンビジネス」との出会いは、私に「ビジネスモデル」と言う言葉を教えてくれました。

 

憧れは、

「アメリカンカルチャー」から「アメリカンビジネス」へとシフトチェンジした瞬間でした。

 

 

その年の暮れ、私は退職願を出しました。